自分の足と身体を使い、お客様に来ていただく。クオリティを高め、お客様に喜んでいただく。 株式会社バルチックシステム 代表取締役社長 吉野幸則様
 
起業にあたって立てた、3つの方針
 吉野幸則社長は、今から約16年前の1991年に起業。それまでの勤めを辞めて、自分の力で人生の道を切り開く決意をしました。
  はじめたのは、カレー屋さん。自動車による移動販売で、オフィス街のランチタイムにサービスを展開する形でスタートしました。これが現在、全国に約50店舗を展開し、海外への進出も果たした「バルチックカレー」の原点だったのです。
  吉野社長は、起業にあたって3つの方針を立てました。
「起業する時には、(1)『解りやすいこと』、(2)『日銭の商売であること』、(3)『社会のためになり、自分も楽しめること』の3点を方針として決めました。(1)は、お客様に対して分かりやすく、シンプルな形態で商売を展開すること。(2)は、経験上、ビジネスの達成は契約成立ではなく金銭回収によって成り立つと考えていたからです。これは、家業を切り盛りしていた母が『手形は怖い』と口癖のように言っていたトラウマかもしれません(笑)。(3)は、楽天的で飽きっぽい私にとっては、とても重要なことです(笑)。自分も楽しく、人の役にも立つ。それが、私の起業の原点となっています」
  3つの方針を元に吉野社長が始めたのが、バルチックカレーでした。手法は移動販売、場所はランチできる場所が少ないオフィス街、価格は通常よりも半額近い安さの500円、味は独特のコクを持ったオリジナル。ここから吉野社長の挑戦がスタートするのです。
 
オリジナルの味を完成! 奥様との二人三脚で営業をスタート
 起業の資金調達や保健所での審査クリアに苦心するも、なんとか起業までたどりついた吉野社長。もっとも苦心したことのひとつは、カレーの味を完成させることにあったと言います。
  「カレーの味については、さまざまな人の意見が採り入れられています。ベースは、私が慣れ親しんだ日本のカレー。そこに、妻の出身地である中国・ハルビンのボルシチ風シチューのコクをミックス。さらにあらゆる国の人の意見が加わって、バルチックカレーの味が完成したのです」
  ロシア風カレー、ボルシチ風カレーとして売り出された、吉野社長のカレー。その名前を『バルチックカレー』としたのも、もちろん吉野社長本人でした。
  「名前については、『日本人は5文字で真ん中に“ッ”や“ン” が入っている方が覚えやすい』というある経営者の方の説を取り、バルチックにしました。バルチックは『バルチック艦隊』から取ったもので、なにか強そうなのと、史上最強と言われながらあっけなく敗れ去ったコミカルな所が気に入って決めました」
  『史上最強のカレー』を掲げたバルチックカレーは、奥様との二人三脚でスタート。ランチスポットの限られたオフィス街で営業を始めました。
「初日は、忘れもしない1991年10月8日。雨の中、妻と二人で朝から200円割引券付のチラシを配りました。慣れない人間がチラシをまいている上に、みんな傘を持っていて手がふさがっている。最初は誰もうけとってくれませんでしたが、やっているうちにだんだんとコツがつかめてきて、最終的には約800枚のチラシを配ることができました」
そして、いよいよ営業開始。吉野夫妻は期待と不安を抱えながら、販売の準備を整えました。
 
初日はわずか30分で完売! 原価率35%で、月商120万円。
  「お客様が来るのかとドキドキしていましたが、11時45分に一人目のお客様がいらっしゃいました。一人目のお客様の顔は、今でも覚えています。25歳ぐらいのメガネをかけたOLの方です。その後は人がどんどん来はじめ、用意していった120食分のカレーは、わずか30分ほどで完売。あの時は嬉しかったですね。帰りの車の中では、妻と大はしゃぎでした」
  その日から、バルチックカレーはまさに史上最強の進撃を開始。配った約800枚の割引券のうち約600枚を回収したというチラシの宣伝効果の高さ、評判が評判を呼ぶ口コミによる宣伝効果によって、月商は120万円にも上りました。
「カレーがひとつ500円という値段設定は、当初からの予定通り。その他、サラダを150円で売っていました。サラダは儲けのないサービス品でしたね。しかし、お買い得感のあるサラダによって、本体のカレーにもお買い得感が出る。その効果を狙っていました。他にも、サービスでミカンをつけたりと、色々なサービスをしました。原価率は約35%。月商120万から諸経費などを引いて手元に残るのは約70万円ぐらいでした」
  順調な船出をしたバルチックカレー。「これはいける!」と確信した吉野社長は、すぐに増車を決意。近所の若者を引き入れて、1ヵ月後には3台での販売を開始しました。 「3台での営業も充分に採算性のある結果となり、事業は順調に発展していきました。しかし、その先にまさか落とし穴があるとは…」
       
 
経営を人に任せて大失敗。 お客様をなめると、必ずしっぺ返しが来る!
 バルチックカレーを始めた当初は、他のビジネスを立ち上げるための資金集めとして考えていた吉野社長。しかし、お金が入り始めた吉野社長のまわりには、金目当ての輩が集まり始めます。
「旧知の人物から『吉野君は経理が素人だから、私が入って見てあげるよ』と言われて素直に聞き入れたのが最初でした。共同経営という形で4〜5人の人間が会社に入り、私は社長という肩書きながらも一番立場の低い人間になりました」
  人の良い吉野社長が知人の言うことに従っているうちに、バルチックカレーは当初とは大きく違ったものに成り果てます。
「彼らのやったことは、米の質やカレーの質を落とした上で値上げ。まさにお客様をなめきった改革です。スタッフはみんな真面目で、一生懸命でしたが、カレーがおいしくなければ話にならない。お客様は神様です。なめたら必ずしっぺ返しがきます。案の定、売上は激減し、ロスもでて、あっという間に仕入れのお金も払えなくなりました」
  そこからは、吉野社長にとって地獄の日々が始まります。
「なんとか体制を建て直そうと借金をしても焼け石に水。朝3時から夜9時まで働き、業者からは追い立てられ、生まれたばかりの子供のミルク代にも事欠く始末。自転車操業状態のまま、瞬く間に2ヶ月が過ぎ去りました。経営者同士は責任のなすり合いをするばかりで、会社のムードは日に日に険悪に。もうどうしようもない状態でした」
さんざん苦渋を舐めた吉野社長を救ったのはお母様でした。日に日に痩せてゆく吉野社長を問いただして会社の状況を聞き出すと、「あんた、殴られてきなさい」と一言。共同経営者達ももはやうまみのなくなったバルチックカレーから身を引きたいと考えているはずだから、そのきっかけを体を張って作れという意味でした。
 お母様の言葉で腹をくくった吉野社長は、遅れて出社したヤクザ風の同僚(・・)に「あんたも早く出てきて飯ぐらい炊け」と一言。すかさず飛び出した右ストレートに、まさに「ふっ飛ばされた」とのこと。吉野社長はすぐに電話で警察に通報。騒ぎ立てる共同経営者たちに向かって、「もうあなたたちとは仕事はできない」と宣言。弁護士を間に入れての話し合いの末、さらに800万円ほどの費用がかかることになりましたが、妖しげな経営陣とはスッパリと縁を切ることになりました。そして残ったのは、元のスタッフと借金でした。
「この時期は非常につらい思いをしましたが、多くのことを勉強しました。会社経営の難しさ、共同経営の難しさ、お客様をなめたらどうなるか、それが痛いほどわかりました。特に、商売をやるなら商品のクオリティを何よりも大事にしなければならないことを痛感。カレー屋ならおいしいカレー、ふとん屋なら良いふとんが何よりも大事なのです」
 
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