旧来の常識を覆す新発想の数々。「アットオフィス」は、不動産業の黒船となる!株式会社アットオフィス 会長 谷 正男氏
 

「衣・食・住」に関わる仕事を志望し、料理の世界へ

「小さい頃から巨人の長島選手にあこがれて、野球に熱中していました。将来はプロ野球選手になろうと決めていました」
 純然たる野球少年だった谷会長は、小学校から中学校とずっと野球を続けました。経済的な事情から野球の強い私立高校に行けなかったものの、都立高校で真剣に野球に打ち込んでいたのです。しかし、進路を決定する時期になって、谷会長は考えました。
「自分がやりたい仕事はなんだろうと考えた時、結論として出たのは、『衣・食・住に関わる仕事をしよう』ということでした。その中で、衣、つまりファッションは、自分には向かないかなと(笑)。そして最も身近だったのは『食』。高校生の時には自分が食べたいものを料理していたし、料理がまあまあ好きでもあったので、その道に進もうと考えました。それに、『職人』への憧れもありました」
 谷会長はレストランに勤める先輩を頼って就職活動を行い、同店に勤めることに。その後、様々な店を勤め歩きながら料理の腕を磨きました。中でも、銀座のクラブでのバーテンダーの経験は、谷会長の人生に大きな影響を与えます。
「当時は、バブル時代の初期。羽振りの良いお客様がたくさんいて、銀座はとてもにぎやかでした。夕方になるとホステスさんがいっせいに出勤してくるので、街の匂いが本当に変わるんです」
 クラブでは単に料理人としてだけではなく、時にはボーイとして働くことも。それが谷会長にとっては興味深い経験だったといいます。それまでは厨房にこもることが多く、お客様と接することの少なかった谷会長は、接客の楽しさを知り、学んだのです。お客様には会社の重役レベルも多く、20代前半では話すこともない相手や内容に接することになりました。この経験は、後の不動産業でも大いに役立つことになります。
 料理に対する見方。接客という仕事に対する見方。そして、お客様との対話の中からわかった、企業・社会・仕事、そして人。自分に新たな知識・経験が蓄積されていく中で、谷会長の心には独立心が育っていきました。
「高校性の頃から『いつか自分で起業したい』という考えは持っていました。その気持がこの頃、現実的になってきたんです」
 そんな時、信頼できる友人から「一緒にレストランをやらないか?」と誘いがあり、谷会長は自分の店を持つことを決心します。「レストラン エピナール」
それが、府中市にオープンした店の名です。洋食をメインに、“味”で勝負するのが、エピナールのコンセプトでした。最初こそお客様の誘致に苦労したものの、しだいに固定客がつき始めると、経営は軌道に乗り始めました。

 

お客様に合わせすぎて、理想から離れる店
大切なのは目的意識と信念

 次第に固定客もつき、経営も安定したエピナール。しかし、あることをきっかけにその歯車が狂いはじめます。それは“カラオケ”でした。
「あの当時は、とにかくカラオケがすごく流行り始めた時期でした。それで、来店されるお客様達に『カラオケ入れないの?』といつも言われる状態で…」
 共同経営者の友人と話し合った結果、エピナールにもカラオケが導入されることになりました。売上を重視した、「経営者」としての決断です。
確かに売上げは上がり、お客様にも喜んでもらえました。しかし逆に、フラストレーションを感じるようになっていきます。
 「お客様たちは、果たして料理を食べる事と歌うことのどちらを楽しんでいるのだろうか?」という考えは次第にふくらみ、料理人としてのプライドを圧迫していきます。そして開店から約2年。谷会長は理想からかけ離れた店を共同経営者に委ね、新たに自分の道を切り開く決意をしました。
「初めて店を経営したことで学んだのは、目的意識や信念の大切さ。お客様のニーズに流され、儲けだけを優先していくのは決して良い手法ではありません。一時的には良くなっても、後で必ず行き詰まるでしょう。エピナールにしても、あのまま続けていたのでは、結局大成はしなかったと思います。辞めた後の仕事については、正直考えていませんでした(笑)。ただし、食に関する仕事という意味では、自分の店を出したことで一区切りがついたという感じだったので、次はまったく新しいことをやろうと考えました」 そして谷会長が「食」の次に目を向けた仕事は、不動産業。高校時代からの考えどおり、『衣・食・住』に関わる仕事でした。

 

テナント仲介業でトップセールスマンへの道
結婚を期に、お客様の満足を第一に考えるように

 不動産業への転向を決意して谷会長が入社したのは、オフィスビル仲介業社でした。
入社してまずチェックしたのは、「トップセールスマンは誰か」ということ。入社してすぐにそれを確認し、何日か行動を共にして、トップセールスマンの営業方法を観察したとのことです。その結果、得たのは「これなら抜ける」という確信でした。
「接客のノウハウは、クラブのバーテンダー時代に培われていたし、自分のお店を流行らせるためにも、営業的な感覚は必要でした。その経験が土台となっていたので『自分ならこの仕事をもっとうまくこなせる』と感じられたのです」
不動産知識を吸収しながら次第に成績を伸ばし、入社後約半年で、とうとう月間成績トップの座を手にすることになりました。この時期には、自らの成績を上げることに情熱を燃やしたと言います。
その後も、谷会長は何度も月間売上げで最上位にランキングされるようになり、収入も増えました。そして、相応の蓄えができた谷氏は、高校時代から交際していた奥様との結婚を決意しました。それが26歳の時です。
結婚したことによって、谷会長の仕事に対する考え方は微妙に変化します。目的が、より高い成績を上げることから、よりお客様に満足してもらうことになったとのことです。
「もちろんそれまでも、お客様の満足を考えていましたが、それは自分がより高い目標を達成するための方法でしかなかったんです。しかし、結婚して家族を持つことにより、考えが変わりました。成果を上げる事よりも、よりお客様のために親身になること。その大切さがわかったんです。チープな言い方ですが、『お金=幸せ』じゃないということですね。思えば、料理も同じことです。自分のためではなく、相手の幸せのために行動する。それこそがあらゆる仕事に共通する最良のロジックなんです。家族の幸せを考える立場になって、改めてそのことに気がつきました」
  まずお客様のことを考える。お客様の満足が結果につながり、結局は自分の満足、そして家族の満足につながる。その方程式はあらゆる商売に当てはまると谷会長は言います。そしてその考えは、現在、谷会長が経営する株式会社アットオフィスにも息づいています。 
 

共に働く仲間に、常に感謝の気持ちを持つ
自らの理想を追い求め、独立を決意

 結婚後、気持ちのあり方が変わった谷会長でしたが、営業の好成績は相変わらず続きました。数年のうちに社長賞4回をはじめとする各種の賞をもらうほどの成績を、その後数年にわたって維持することになります。
好成績を上げ続けている間、谷氏は同僚やOLへの感謝やケアも忘れませんでした。
「自分が好成績を上げるためには、事務仕事をこなしてくれる社員や、サポートをしてくれる他の営業マンの力が不可欠だということを忘れたことはありませんでした。だから、自腹を切って感謝の気持ちを表し、少しでも利益を還元するようにしていました」
同僚やOLに感謝の気持ちを表すことが、さらにみんなの協力を呼び、好成績は持続される。好成績を上げ続ければ、会社からの評価は高くなる。そして当然のごとく昇格し、33歳の頃には役員にまで登りつめていたのです。
役員になると、ポジションは経営者に近いものになります。そのポジションから会社を見るようになって、谷会長は改めて自分の理想通りの会社を創りたいと思うようになりました。
「オフィスビル仲介業のキャリアを重ねるうち、企業に必要なノウハウが身についたと感じるようになりました。また、自分の理想とする会社の在り方、ビジョンも出来上がってきました。そうなると、それを実現したいと思うのが当然の成り行きです。」
そんな時、志を同じくしたのが、後にG社を共に立ち上げることになるH氏。お互いの理想とする企業のあり方、不動産業のスタイルについて話し合い、理解を深め合いました。そして、お互いが理想とする仲介会社を、共に設立することを約束します。
そして1998年。谷会長34歳の時に、独立への機は熟しました。
 
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