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チャレンジは、まだ終わらない |
株式会社アットオフィスコンサルティング 代表取締役社長 <プロフィール>
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「明朗会計」「多様なサービス」を誇る、次世代型の会計事務所 谷正男氏は、AOC(アットオフィスコンサルティング)の代表取締役社長。約15年間をオフィスビル仲介業に費やした谷氏は、自らの経験から、中小ビルオーナー・中小企業に特化した不動産業の必要性を実感。自ら新しい会計事務所を立ち上げるに至った。それがAOCである。 AOCは、不動産仲介業者ででありながら、会計事務所、WEB制作、テレマーケティングまでもサポートする多機能な会社。計画的な資産管理・運用を行わず、空室ができてもあまり営業活動をしない中小ビルオーナーを目にしてきた谷氏が、中小ビルオーナーや、そこにテナントとして入居する中小企業のために創業したのが始まりだ。 「バブルの崩壊以来、中小ビルオーナーの皆さんが経営にご苦労されているのを目の当たりにしてきました。そこで、『自分に何かできることはないだろうか』と考えた結果がAOCだったのです。明確な会計処理で資産を有効に運用すると共に、様々な方法で営業活動をサポートする。それが中小ビルオーナーの皆様や、そこにテナントとして入居される中小企業の皆様に必要なサービスだと確信しました」 確かに会計処理というのは、きちんとやろうとすればするほど、素人が手を出しにくい分野。そして会計事務所の業務も、理解できず、場合によっては不透明な印象を持ってしまいがちだ。そこに、明確な料金表を提示して、しかも様々なオプションサービスを提示されれば、便利なことは間違いない。 長島にあこがれ、プロ野球選手を目指した少年時代 AOC(アットオフィスコンサルティング)を立ち上げた谷氏の風貌は、人に理知的な印象を与える。AOCの設立を企図したところからも、そんな印象が喚起されるのは当然のことだろう。 「小さい頃は巨人の長島選手にあこがれて、野球に熱中していました。小学生から始めて中学、高校とずっと野球を続けました。将来はプロ野球選手になろうと決めていました」
「衣・食・住」に関わる仕事を志望し、料理の世界へ 部活を引退した高校3年生の夏。谷青年はスナックでアルバイトを始めた。といっても、酒を飲んで客の相手をするわけではない。厨房にいて、料理を作る仕事だった。 必要な金額を稼ぎ出した谷青年は、スナックでのアルバイトをやめ、普通の高校生に戻った。しかし以前のように、プロの選手になろうという意識はなかった。 「仕事をするのなら、人間に必要と言われる『衣・食・住』に関わる仕事がしたいと考えていました。しかし、中でも『衣』、つまりファッションは、あまり興味を持てない分野でした。だから結果としては『食・住』に絞られたんです。そこで影響を受けたのがスナックでのアルバイト経験。楽しくやりがいもあったので、『卒業したら料理人になろう!』と思い定めました」 谷青年は公共施設内のレストランに勤める先輩を頼って就職活動を行い、同店に勤めることになった。 「食」の仕事を渡る日々@ 高校卒業後、公共施設内のレストランに勤務した谷青年。洋食を中心に多様なメニューがあるその店で、料理人としての修行が始まった。 「もう、殴る蹴るなんて当たり前ですからね。その上、何にも教えてくれないんですよ、昔は。いじめられながら、見て盗むしかない。私は負けず嫌いな所があるので、ただいじめられて何も得ずにやめるなんて考えられませんでした。『とにかく腕を磨いて、こいつらを見返してやる』。そんな風に思って頑張っていました」 タテ社会の掟は、野球部時代から身に染みていた。動じることなく職場の雰囲気に溶け込み、積極的に先輩達の技を盗んでいった。元から料理が好きだったこともあり、急速に知識と技術を身につけていった谷青年は、入社後わずか半年ほどで、次第に調理を任されるようになっていった。 「自分たちと同じ立場になってくると、先輩達も自分を認めてくれて、親しく接してくれるようになる。そうなったら勝ちです。働きやすくなって、すごく良い職場環境になりました」 働きやすくなった職場で、特別に仲の良い先輩もでき、充実した毎日を送る谷青年。しかし、働き始めて約2年後に、最初の転機が訪れた。 「仲の良かった先輩が、今の店を辞めてチェーン展開する有名ホテルの厨房に移るというんです。それで、一緒に行かないか、と」 20歳を迎えた谷青年は、「この先輩となら、新しいお店でも楽しく働けるだろう」と転職を決めた。新たな職場で自分を試したい、新しい知識・技術・経験を手に入れたいという欲求もあった。そして彼は、初めて勤めた店に別れを告げた。 「食」の仕事を渡る日々A 新たなお店は、ホテルの厨房。以前勤めていたレストランも収容客数の多い店だったが、宿泊客が多く、披露宴なども行われるホテルでは、客数の単位が桁違いに多い。処理する食材の量、作る料理の数は、圧倒的に増えた。 「料理人を始める時には、ホテルの厨房などで働くのがいいと言われています。それは、扱う食材の量や料理の数が半端じゃないから。例えばジャガイモの皮をむくという作業を任されたら、それこそ一日中、皮をむき続けることになります。だから、包丁の扱い方、ひとつひとつの食材の扱い方などに、嫌でも熟練して行くことになるのです」 そんな環境の中で、谷氏はますます技術に磨きをかける。しかし、その新たな挑戦はわずか3ヶ月で終わってしまった。 「一緒に入社した先輩が、厨房でケンカをしてしまい、辞めてしまったんです。それで、誘われて入った私も居づらくなり、辞めました。まあ、そんなに深刻には考えなかったですけどね。『じゃあ辞めるか』という感じで…」 ホテルの厨房を辞めた後は、友達に誘われるままに六本木でホストまがいのアルバイトをしたが、それも3ヶ月ほどで辞めてしまう。その後、約半年は何をするということもなく、無職で過ごした。六本木のアルバイトで得た収入を糧に、谷氏は20歳の空白をしばし味わった。 新しい店は銀座のクラブだった。基本的には厨房で働くが、人手が足りない時には、ボーイとしてフロアに出ることもあった。 「当時は、バブル時代の初期。羽振りの良いお客さんがたくさんいて、銀座はとてもにぎやかでした。夕方になるとホステスさんがいっせいに出勤してくるので、街の匂いが本当に変わるんです」 高級クラブでは、今のキャバクラなどと違い、まともな料理を出す。特に盛り付けに凝って料理を出すのがクラブの特徴だった。その意味でも、腕の良い料理人は必要だった。その店で谷氏は、存分に腕を揮った。 高校時代にもスナックでアルバイトをしたが、銀座のクラブはやはり別世界だった。働く女性のレベル、お客さんのレベル、使われる金額…。そのすべてが、谷氏にとっては新たな経験だった。 「食」の仕事を渡る日々B 銀座のクラブでは、約1年半の歳月を過ごした。この歳月の中で、谷氏が学んだものは多い。料理に対する見方。接客という仕事に対する見方。そして、お客さんとの対話の中からわかった、企業・社会・仕事、そして人。 「高校性の頃から『いつか自分で起業したい』という考えは持っていました。その気持がこの頃、現実的になってきたんです」 その気持に従い、谷氏は自分の店を持つことを決心する。銀座のクラブを辞め、信頼できる友人と共にレストランを開店した。 その頃、巷で流行り始めたものがある。“カラオケ”だ。エピナールの経営は、このカラオケの登場によって大きく変化することになる。 「あの当時は、とにかくカラオケがすごく流行り始めた時期でした。それで、来るお客さん達に『カラオケ入れないの?』といつも言われる状態で…」 共同経営者の友人と話し合った結果、エピナールにもカラオケが導入されることになった。売上を重視した、「経営者」としての決断である。 「確かにおいしいといってはくれるが、果たして料理を食べる事と歌うことのどちらを楽しんでいるのだろうか?」 その考えは次第にふくらみ、谷氏の心を圧迫していく。そして開店から約2年。谷氏は店を共同経営者に委ね、新たに自分の道を切り開く決意をした。 「食に関する仕事という意味では、自分の店を出したということで、一区切りがついたという感じでした。次にやるなら、まったく新しいことをやろうと考えました」 谷氏が「食」の次に目を向けた仕事は、高校時代からの考えどおり「住」。不動産業だった。 テナント仲介業、トップセールスマンへの道 不動産業への転向を決意して、谷氏が入社したのは、テナントビル仲介業社。谷氏、23歳の時だった。 「接客のノウハウは、クラブのボーイ時代に培われていたし、自分のお店を流行らせるためにも、営業的な感覚は必要でした。その経験が土台となっていたので『自分ならこの仕事をもっとうまくこなせる』と感じられたのです」 不動産知識を吸収しながら次第に成績を伸ばし、入社後約半年で、とうとう月間成績トップの座を手にすることになる。不動産業では、成績の集計は月ごとに行われる。一人一人の成績の推移が浮き彫りにされるため、シビアな反面、自分自身に対する評価もしやすい。谷氏も毎月の自分の成績を指標にして、成長を続けた。自らの成績を上げることに異常な情熱を燃やした時期だった。 その後も、谷氏は何度も月間売上げで最上位にランキングされるようになっていった。そして収入も増えた。契約ごとに歩合がつくために、成績が上がれば上がるほど高額になり、飲食業の時とは比べ物にならないほどの額になっていく。相応の蓄えもできた谷氏は、高校時代から交際していた奥様との結婚を決意した。それが、26歳の時である。 結婚してから、谷氏の仕事に対する観念が微妙に変化してきた。より高い成績を上げるための成果主義から、よりお客さんに満足してもらうための目的主義に変わった。 「もちろんそれまでも、お客様の満足を考えていました。しかし、自分がより高い目標を達成するための方法論でしかなかったんです。しかし、結婚して家族を持つことにより、考えが変わりました。成果を上げる事よりも、よりお客様のために親身になること。その大切さがわかったんです。チープな言い方ですが、『お金=幸せ』じゃないということですね。思えば、料理も同じことです。自分のためではなく、相手の幸せのために行動する。それこそがあらゆる仕事に共通する最良のロジックなんです。家族の幸せを考える立場になって、改めてそのことに気がつきました」
結婚後、気持ちのあり方が変わった谷氏だったが、営業の好成績は相変わらず続いた。数年のうちに社長賞4回をはじめとする各種の賞をもらうほどの成績を、その後数年にわたって維持することになる。 「自分が好成績を上げるためには、事務仕事をこなしてくれる社員や、サポートをしてくれる他の営業マンの力が不可欠だということを、忘れたことはありませんでした。だから、自腹を切ってみんなを連れて飲みに行ったりして、みんなに感謝の気持ちを表し、少しでも利益を還元するようにしていました」 もともと親分肌の谷氏は、自分さえ良ければいいとは考えられなかったのだ。 「何が不満だったのかというと、社員に対する利益の還元についてです。私の目から見て、それが充分だとは思えませんでした。現場のみんなが頑張って利益を上げているんだから、できる限り還元するのが当然。それがなければ、何のために仕事をしているのか、と思いました。それは、自分自身にも当てはまる疑問でした。 『自分は何のために仕事をしているのか。自分は会社のためだけに仕事をしているのか』 もちろん、答えはNOです。仕事は、会社のためと同時に、自分のためにするもの。会社の利益と同時に、個人の利益や幸福も尊重されるべきです。しかし、そんな理想的な会社を実現するためには、やはり自分が経営者にならなければならない。そこで私は、独立を考えました」 そんな時、志を同じくしたのが、後にグラントコーポレーションを共に立ち上げることになる廣瀬正一氏。 そして1998年。谷氏34歳の時に、独立への機は熟した。 瞬く間に発展を遂げたグラントコーポレーション グラントコーポレーションを立ち上げたのは、1998年9月。最初は世田谷区の小さなオフィスでの開業だった。明大前の駅に近いビルに一室を借り、挑戦が始まった。すでに地位を確立している仲介業のビッグネームに追いつき、追いこす。その信念に燃えて、代表取締役の廣瀬正一氏と共に、ついに行動を起こしたのである。 立ち上げ当時の忙しさは、「筆舌に尽くしがたい」と谷氏は言う。何から何までを二人で行い、寝る間も惜しんで働いた。その結果、翌年の1999年9月には、日本橋により規模の大きなオフィスを構えるに至った。この間の成長は非常に目覚ましいものであった。 また、1999年の日本橋移転時に設立されたコールセンターは、その後も稼働を続けてグラントコーポレーションの発展を助けた。コールセンターを設けた理由は、営業マンの補助的役割を担うため。常に活動している営業マンに変わって、既存の顧客の問い合わせに対応したり、新規の問い合わせに対応してビジネスチャンスを創り出すなどの機能を果たしている。 さらに2003年。事業が順調に拡大し続けるグラントコーポレーションは、本社を青山に移転する。不動産業で本社を青山に置くというケースは、前例を見ない。その姿勢は、新たな取り組みに燃えるグラントコーポレーションのポリシーを如実に示しているのかもしれない。 さらなる理想を叶えるために 「『GRANT』という言葉には、『承諾する』『授与する』『譲渡する』という意味があります。お客様に対しては、お望みの物件をご提供できるようにという意味を込めて、この名前を選びました。また、社員に対しても、考えや行動を認めた上でその働きに応じて利益を還元するので、この会社をひとりひとりが持つ夢を叶えるための礎としてほしい、という思いをこめています」 一見しただけでは勇壮な感さえ与える「GRANT」という語に、これほどの思いやりのある意味が隠されているのには驚かされる。そしてグラントコーポレーションは、その名に恥じぬ業務を行い、発展を遂げてきた。しかし谷氏には、さらなる目標があるという。 「これまでテナントビルの仲介業を続けて来た中で、自分たちの理想に近い形で業務を遂行してきたという自負はあります。しかし反面で、いくつかの課題も新たに発見しました。今後はその課題を改善するために、新たなチャレンジをしていきます」 谷氏がいう新たなチャレンジが、冒頭でも紹介したAOC(AT OFFICE CONSULTING/アットオフィスコンサルティング)だ。ビル仲介業を続ける中で、谷氏はいくつかの疑問点を持った。その中でも、最大の疑問が2つある。 ●ビルオーナーは、なぜ自分で営業をしないのか? ビルオーナーは、自らのビルにテナントを誘致するのに、自分では何もしない。それで儲かっているのならまだわかるが、空室がなかなか埋まらないビルオーナーについても同様で、埋まるか埋まらないかは仲介業者、不動産業者に任せきり。自分の生活が苦しくなっても嘆くばかりで、やはり自分ではアクションを起こさない。 以上のことは大まかな内容で、谷氏の頭の中にはより具体的な疑問が渦を巻いていると思ってもらいたい。これらの疑問を解決してビルオーナーの経営を助け、さらにはテナントとして入居する中小企業にも利益をもたらすべく考えられたのがAOCなのである。 AOC(アットオフィスコンサルティング)とはどのような会社か AOC(アットオフィスコンサルティング)の業務は多岐に及ぶ。不動産仲介業、会計業務と共に、WEBの制作、テレマーケティング、競合調査、ポスティング、営業代行、DM、FAX―DMなどが、AOCのサービス内容になる。通常なら企業が人材を投入して行うこれらの業務を、アウトソーシングとして請け負うのが特長である。利用者はこれらのサービスを活用しながら、自分の会社の営業に役立てることができるというわけだ。アットオフィスコンサルティングが特に力を入れているのは、WEBの活用で、訴求力のあるホームページの作成やWEB上での配信サービスなどには、目を見張るものがある。ここで、個々のサービスについて見てみよう。 AOCの事業領域 「不動産」は、得意分野の最たるもの。ビルオーナーには適切なテナント探しのノウハウを与え、時にはニーズにマッチした企業を紹介する。移転を考える企業には、やはりニーズにマッチしたオフィスビルをスピーディに紹介する。しかも、引越しや原状回復に関するサービスまでも提供可能である。 ここまでに挙げてきたサービスは、それぞれ明確に料金設定がなされている。その料金設定は、WEB上ですべて確認できるので、「これを頼んだらいくらかかるんだろう」という不明瞭な所がまったくない。今まで会計事務所を利用したことのない人でも、最初から安心して頼めるのも大きな特長と言えるだろう。 「できればまた、飲食店の経営をしてみたい」 「ビルオーナーや中小企業の皆さんの発展に役立ちたい」との思いから生まれたAOC(アットオフィスコンサルティング)は、2005年1月、谷氏を代表取締役として、本格稼働を開始している。 「とりあえず今は、AOCの運営と発展が急務。グラントコーポレーションの創業時に負けないほどのハードスケジュールですが、それだけにファイトが湧いてきます」 今年40歳になる谷氏は、目を輝かせる。 AOCは、社員ひとりひとりの夢を叶える礎となる会社。その理論は、社長の谷氏にも当てはまる。では、谷氏は将来に、どんな夢を描いているのであろうか。 「私の夢は、実は再び飲食店を開くことなんです。できれば全国展開するぐらいに成長させたいですね」 AOCを立ち上げたばかりで激務をこなしながらも、さらに将来の夢を語る谷氏。常に夢を見ながらバイタリティに溢れた活躍をするその姿こそ、社員やクライアントを魅了してやまない谷氏の魅力なのである。 |